5月14日の福岡ソフトバンクホークス戦。
完全なロッテペースで進んでいた9回裏、防御率0.00の荻野が登場し、誰もがロッテの勝利を確信した。
板橋にある実家でテレビを見ていた俺も、十中八九ロッテの勝利を信じていたが、結果は無情にも逆転サヨナラ負け。
荻野がホークスの長谷川と田上に軽くホームランを打たれ、たった2球で勝利が転げ落ちた。
呆然とする俺に、絵本を読んでくれとせがむ息子。
嫁はこの場にいないので、絵本を読むのは俺の仕事と知りつつも、ないがしろにしてしまう。見かねた俺の妹が、息子の相手を始めた。
そうだ、岩槻に行こう。
ソファーに突っ伏しながら思いついた。
この胸のモヤモヤを晴らすのには、
この悔しい事実を忘れるには、
あの子に会うしかない。
そう決めるや否や、俺は車のキーを取って家を飛び出した。
息子も無視して、嫁のいぬ間に合うのは良心が咎める気もするが、そんなこと言ってられない。
つくづく野球とは罪なスポーツだ。
一般道を走る心の余裕はもはや持ち合わせていなかったので、足立入谷ICから東北道に入った。
飛ばせば20分。20分後にはあの子に会える。
アクセルを踏む理由は、逆転サヨナラ負けの悔しさなのか、
それともそれはキッカケに過ぎず、最初からあの子に会いたいだけだったのか。
あの子が今住んでいる岩槻の家の門限は22時。
現在の時刻は21時20分。
飛ばせば、10分ぐらいは見つめあう時間はあるかな、と頭の中で計算してみる。
もうかれこれ、岩槻の家には10回ほど通っている。
しかしまだあの子は抱かせてくれない。
岩槻の家は、ひっそりと静まり返っていた。
この建物の3階に彼女がいる。
寝ているのか、起きているのか、食事中なのか、
彼女が今どうしているかはわからない。
俺を待ちわびて泣きじゃくっているかも知れない。
そう思うと、階段を登る足が速まる。2段ずつ飛ばしながら上階へと急いだ。
彼女は着替え中だった。
白くて清潔な(少しサイズが大きくてブカブカな気もするが)、衣服をまとっていた。
俺がそっと近寄ると、まどろんだ瞳をこちらに向けて、ニコリと微笑んだような気がした。
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娘が生まれたのは4月27日。
母胎で成長することができず、このままでは命が危ないということで、月曜日なのにも関わらず急遽出産をすることになった。
「急だけど今から手術してくる」
そんな電話をよこした嫁は、今から帝王切開で腹を開けられ、未知の恐怖と対峙するはずなのに、いつもと変わらない。急激に加速した心音を察知されまいと、気丈に振舞うのは男の方だった。
病院へ向かう車中でも、入院中の電気代の支払いや、息子の保育園の手続きなどを俺に指示する助手席。
なるほど、覚悟なんてものはとうの昔に決まっているのだ。
彼女の中では、妊娠がわかった時点で、「生みきる」という覚悟ができている。そこが慌てる男との決定的な違いだった。
11時には手術を始めなくてはいけなかったので、スピードを速めて走っていると、目の前に富士山が開けた。
普段「縁起物」なぞには興味の無い暮らしを送っているつもりだったが、見事に裾野を広げた富士山の稜線が嬉しすぎた。
「見ろ富士山!!」
とんでもないテンションで叫んだのは、己の不安を打ち消したい、ただその一心だったはず。
車を走らせながら、俺は明らかに人生の節目を感じていた。
心を落ち着かせる間もなく手術が始まった。
胸にあるのは、根拠の無い希望だけ。
待機室の薄い壁の向こうで、医師たちの談笑する声が微かに聞こえていたが、やがてそれもなくなった。
時間にしたら20分ぐらい。
月並みの表現だが、この20分が何時間にも感じられる。
まだか、まだかと痺れを切らしていたそのとき、「オギャア」という産声が聞こえた。
我を忘れて壁に耳をあてがうと、聞き逃してしまうぐらい細い声だけど、確かに彼女が泣いていた。
後で聞いた話だが、
嫁が通院していた産婦人科では、未熟児出産ができなかったため、嫁の担当医が前日から出産できる病院を当たってくれていたそうだ。しかし想定していない急な出産だったので、未熟児出産を受け入れてくれる病院が見当たらなかった。
幸い、小児医療センターに「出産後」の未熟児を受け入れるベッドの空きが出たので、産婦人科で出産して、即時、小児医療センターに運ぶという手段が採られることになった。
生まれた女の子は、大きな大きな専用の救急車で運ばれていった。
この救急車は、搬送中も適切な処置を続けることができるそうだ。医学は凄まじい。
担当してくださった医師たちに、これでもかというぐらい頭を下げた。
人間、心から感謝すると、自然に頭が下がるようになっているみたいだ。
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娘は、ちょうどNICUというケースから外に出されるところだった。
呼吸も問題がなくなり、体温調節もできるようになったから、と担当の女性医師が説明してくれた。
そのタイミングに立ち会えたので、俺はやっと娘を抱くことができた。
抱いているのかわからないぐらい軽い。しかし重い。ずしりと命の重みは感じる。
抱きながら娘との未来を思い描いた。
次から次に明るい未来だけが連鎖して広がる。
30年前に俺を抱いた両親が思ったように、
この子を幸せにすることしか考えられなかった。
娘を抱いた余韻がまだ残る腕でハンドルを握り、帰路に着いた。
とりとめもないことを考えながら、ふと
家族に対してしか持ち得ない感情に行き着いた。
俺の人生に、彼ら彼女らがいるのではない。
彼ら彼女らの人生に、俺がいればいいじゃないか。
キレイごとでも現実的でなくてもいいのだ。
俺がそう感じたのだから。
そう感じさせてくれたのは、荻野の失投なのか?
つくづく野球とは罪なスポーツだ。









