我ながらなんて無防備だったんだろう、と猛省しているが、昨日、運転中に携帯電話で通話しているところを白バイに止められた。
バックミラー越しに、ウウウウウウウウ!と迫ってくる白バイって超怖いのね。
初体験だっただけに、ちょっとショック。
白バイが俺の免許を持っていって、減点やらなんやらの手続きを始めた。
やっちゃった~、と軽い放心状態になっていたとき、社内には「壊れかけのRadio」の、なんだかノスタルジックなイントロが流れ始めた。
最近はもっぱら曲をシャッフルで流しながら、どうしても気に入らない曲のときにだけスキップするという、自分だけの、思いっきり緩くて意味の無いルールを作っていたので、そのまま耳を傾けることに。
「何も聞こえない~、何も聞かせてくれない~」
もう壊れてるじゃん。
壊れかけとかのレベルじゃないじゃん。
今まで何とも思わなかった歌詞だったが、白バイに止められたという現実が、俺の中から「人を許す」という余裕を持ち去っていた。
そして曲はしばらくすると、おそらく日本中の過半数が疑問に感じたであろう箇所に到達した。
そう。
なぜ、壊れかけの「レディオ」なのか。
警察から解放された後も、俺はこの問題の虜になった。
なぜ、「壊れかけのラジオ」じゃなくて、「壊れかけのレディオ」になったのか。
当然、言葉の響きで選んだに決まっている。
確かにラストが、「こわれ、かけの、ラジオ~」だったらなんか嫌だ。
いや、本当に嫌なのか?もう長いこと「こわれ、かけの、レディオ~」だったから気持ちが悪いだけで、最初から「こわれ、かけの、ラジオ~」だったら、それはそれでよかったんじゃなかろうか。
調べたところ、
どうやら「ラジオ」とは、無線分野での送受信技術を指す言葉らしい。
つまり俺たちが「ラジオ」と呼んでいる機器は、正確には「ラジオ放送受信機」となる。
だから、壊れかけのレディオでも壊れかけのラジオでもなく、壊れかけてるのはラジオ放送受信機だということになる。
とはいっても、ここで屁理屈をこねるのは無粋だし、あの機器を皆が「ラジオ」と呼ぶ事実が確立されている以上、あれはラジオでいい。
油性フェルトペンを「マジック」と呼ぶのが一般的なのと一緒。
そして当の徳永英明も、その機器を「ラジオ」として認識している。
歌の中でも、サビ以外の箇所では
「初めて買った黒いラジオ」
「ラジオは知っていた~」
と、歌っている。
ますます「レディオ」へ到達したプロセスが気になってくるところなのだが。
徳永英明が、Radioを英語発音したいだけだったとは思えない。
だってRadioは、英語発音したら「レイディオ」が近いでしょ。ちゃんと聞いたけど、レイディオと言ってはいない。明らかに序盤のサビは「レディオ」だ。
感極まってきた最後らへんのサビなんて、聞きようによっちゃ「ラディオ」にも聞こえる。徳永も「ラジオ」と「レディオ」の狭間で揺れているのだろうか。
(ちなみに、最後のサビの「本当の幸せ教えてよ」は、どう聞いても、「ほんとのしあわせ、おしえてお」と歌ってる。教えてお!!!)
結局、壊れかけの「レディオ」とは、徳永の中途半端なカッコつけなのだ。
俺はそう考えることにした。
そしてこのどうでもいい問題は、俺の中で消化された。
追記:
1986/5/21 徳永英明の発表した2枚目のシングル
「夏のラジオ」
シヌww










