笑わせたり、感動させたりする難しさとは対照的に、人を不快にするのは物凄く簡単だ。
通勤時の電車の中で通話したら、その車両内にいるほとんどの人をムカつかせることができる。
考えてみたら当然なんだけど、人間は面識の無い人に関して、まず心を許すまいとしている場合の方が多い。要するに、相手の非常識や失言・失態を受け入れるドアはいつでも全開で、江国香織風に言えば、「激怒する準備はできていた」状態なのだ。
だから、人のムカつきに異を唱えることは、甚だ不毛だということになる。
言ってみりゃ、他人が美味しいと言うものを不味いと言って、他人が面白いといってる芸人を、面白くないとこきおろすようなもの。人間、美味しいとか面白いとか、そういう感情と同じ次元でムカついてるのだ。
だから特定の人間を傷つけない限り、ムカつきに正論もクソも無い。
要するにね、
俺が言ったことや書いたことに対してムカつくならば、俺にたいしてどうこう言うんじゃなくて、お前の知り合いにムカつきを話して消化しろ。俺に言われても、そもそも俺はその理由でムカついてるんだから、どうにもなんねーんだよ、って話。
まあ、みだりに世間に苛立って、それを公表する必要もないわな。
それに本気で怒って、それを「解決」したい場合は、ブログツールには依存しない。本当に解決すべきことは声高らかに謳うことではないと思っている。
ただ、ブログを人とのつながりを保つためのツールと思うのは大間違い。
ブログで保ってる人間関係なんて、薄氷みたいなもの。肉まん落としただけで割れるよ。生活を補填する役割はあるかもしれないけど、本当に維持すべき人間関係はそこには存在しない。
だからこそ、ブログの意義があるのだ。
わずらわしい駆け引き抜きにして、自分を主張できて、自分の考えを発信できるのが、ブログの最も優れた利点ではないのか。
むやみに人を傷つけてはいけない。むげに他人の気持ちを踏みにじった時点で、それは主張ではない。まさしく書く人間の器量が問われるツールでもある。
だからといって、人の反応ありきのエントリーを連発して、予定調和の中で更新されるブログに、どんな存在価値があるんだろうか。はっきりいってそこに意味は皆無だ。ドラゴンアッシュのダンサーとタメはれるぐらい意味を見出せない。
ここまで偉そうに話してきて皆さんお分かりかと思うが、
このエントリーを振り返ると、深田恭子のドロンジョは、はたしてアリだったのか、という論点が浮き彫りになる。グラマーという点では及第点をあげれるが、攻撃的かといえばそうではない。
だから俺は声高らかに言うよ。言いたいことを言えなくて、何がブログだ!
深田恭子のオッパイみたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!










